イントロダクション

暗闇だったZoneにヒカリを当てる映画という名の闘い! 

近年国際的に問題視されている東アジア地域(中国・韓国・日本など)に於ける犬猫肉食にまつわるドキュメンタリー映画。

食用として屠殺される犬や猫の数は、全世界で年間およそ3000万頭以上と推測されています。インターネットやSNSの発達により、近年ようやくその実態が明るみになりつつあります。

例えば中国の多くの地方では、ペットとして飼われていた犬や猫を盗んできては食肉業者に売り飛ばす商売が横行しています(中国政府は犬の繁殖場・屠殺場を認めてはいない)。屠殺業者の一部には未だ、犬に恐怖と苦しみを与えると肉が美味しくなるという迷信を信じ、犬たちに不必要な拷問を与えて殺している人間がいます。

その実際は生きたまま犬の皮を剥ぎ、熱湯で釜茹でにする、四股を切断するなど、様々な筆舌に尽くし難い程の残酷な方法がとられています。

なかでも近年注目されているのは中国広西チワン族自治区での玉林(Yulin)ライチ犬肉祭で、毎年夏至の時期に暑気払いを名目として開催され、数日のうちに1万頭以上の犬猫が食用に消費されると言われています。

我々制作スタッフは、アジア圏の犬猫食にまつわる実態を映画という手法で炙り出し、より多くの人たちに知ってもらいたいという使命感にかられました。そこで、2017年夏、我々はまずはじめに中国広西チワン族自治区に赴き、現地の公安当局からの撮影規制と執拗な監視の下、隠しカメラを駆使して撮影を決行しました。

中国ではその他、広東省(広州市)・河南省・吉林省(長春市)・天津市を移動しながら犬肉食に関する撮影を開始しました。

こうしたアンダーグラウンドの企画は、必然的にインディペンデント体制の制作を余儀なくされる宿命であり、今回の移動総距離15,000キロを決行した中国ロケには、渡航費用、食事代や宿泊代、通訳料、取材謝礼、交通費、機材費などを自己努力で極限まで抑えても、我々の撮影クルーは制作費の工面から頭を悩ませなくてはなりませんでした。

次に、我々は韓国に向かいました。

韓国でも毎年7~8月、暑気払いや滋養強壮を目的としたボクナルという犬肉スープ祭りが行われており、一ヶ月余りで100万頭以上の犬たちが同じく非常に残酷な方法で屠殺されます。

一般的にはこのような事案は民族的な風習や国民性の違いとしてとらえられがちで、文化が違うからという一言で片づけられてしまうことがままあります。そこで私は敢えて今回の企画には、30年程前まで日本でも犬肉食文化はあったという事実も提示したいと考えています。

つまり、犬肉食の風習は単純に国民性や民族間の問題ではなく、実はその国の経済発展やそれに伴う教育、道徳倫理観に由来するところが大きいのではないかと分析しているのです。

その証拠に、韓国で2017年5月新しく大統領に就任した文在寅氏も段階的に犬肉産業を廃止すると公言しています。また、同じく韓国では、犬肉食に対する国内外からの厳しい非難の影響を受け、2017年2月には国内犬肉市場最大手のモラン市場に於ける犬肉販売は、そのほとんどが閉鎖に追い込まれました。

中国に於いても、我々は偶然に撮影できたのですが、屠殺場に運ばれる犬猫を運んだトラックを緊急停止させ、数百匹もの犬猫たちの命を救いシェルターに保護したのは中国の若者や仏教徒たちでした。

中国で最も利用されているSNSアプリの【we chat】を通じて大勢の若いボランティアたちが集まり、救助された犬猫たちを保護するシェルター(中国では基地と呼ばれている)では、医療など動物福祉の面でも十分過ぎる程のケアを施していたのを目の当たりにしました。

そういった様々な、まだ知られざる新しい現実にも光を当て、世界に発信したいと考えています。

世界はアジア圏の犬肉食情報に飢えています。

今回の作品「アジア犬肉紀行」は完成と同時に欧米などの海外のテレビ局をターゲットにアピールを開始する予定です。
外からの圧力がもっと高くなれば、東アジア地域に於ける動物保護法制定の実現に対して、この作品の持つ役割はとても大きいと考えます。

だが、何も変わらないかもしれません。しかしながら結果がどう出るにせよ、何もしなければ当然のように何の結果も得られません。

例えばその昔、アメリカ大陸で横行した黒人奴隷制度に異を唱える人がいなければ、現在もその悲惨な負の文化は続いていたことでしょう。
私たち人類は太古から動物たちを奴隷のように労使し、使えなくなると役に立たなくなったものとして捨て去ったり、又は殺して食用にしたりしてきました。

ペットとしても家畜としても人類は動物から多大な恩恵を受けてきました。
動物たちは人間のようにコトバというコミュニケーションツールを持ちません。しかし、痛いとか悲しいというコトバを発しないからと言って邪険に扱う時代は、これからの社会にそぐわないものだと強く感じています。

監督【北田直俊】インタビュー

如何に残虐シーンを描かずに、残虐性を描くか?

最初にわたしが東アジア地域における犬肉食のことを知った経緯からお話しさせていただきます。

2011年、福島第一原子力発電所の水蒸気爆発事故による、半径20キロ圏内に取り残された動物たちの存在を当時住んでいた東京で知った私は、自分自身も保護した犬を飼っていたので福島の小さな生き物たちのことが気がかりで、単独で取材を開始しました。

その時、取り残された動物たちの立場から半径20キロ圏内強制避難区域内(当時海外では『Zone』と呼ばれていた)でカメラを回している人間が誰一人居ないことに愕然としました。

だれもやらないなら自分一人でもとにかくこの現実を世界に知らせなければいけないという使命感で、誰からのバックアップもないまま、仕事の傍らひたすら一人で東京から福島まで片道200キロあまりの道を数えきれないほど通いつめ、撮影を続けました。

そんな折、地元の方からこの現状をぜひ記録してほしいという強い要望もあり、ある意味非合法な形で【ZONE】の中でカメラを回し続けていました。そして、本当の意味で福島の動物たちの記録を残そうと夢中でした。そして、様々な情報を入手するためFacebookというツールの利用も始めました。

そんな活動のさなか、2012年の夏ごろ、誰かがFacebook上にシェアした記事で、アジアのどこかで『生きたまま皮を剥がされ熱湯の釜で煮込まれる犬』の悲惨な画像を目にしました。最初は訳が分からず、これが現実のものかとても混乱した記憶があります。

福島の無人と化したゾーンに取り残された動物たちも悲惨だったうえ、毎回逮捕されるかもしれないというリスクを伴った取材に、金銭面も精神面にもダメージが大きく、その犬たちの存在も無理矢理に頭の隅に追いやって、福島強制避難区域のドキュメンタリー映画製作に没頭していきました。

本来は、時の流れの中で朽ち果ててゆく警戒区域の風景も撮りたかったので、完成まで最低でも5年は掛かるだろうと決めていましたが、出演者の一人に早期完成を望まれたこともあり、その映画は2013年春前に早々と完成させました(注1)。

その映画の完成と同時に、今度は日本の美しい村100選にも選ばれた飯舘村にも無数の置き去りにされた動物たちの存在を知る事となりました。

飯舘村は当時、強制避難区域ではないが居住困難区域に指定されており、誰でも自由に出入りできるため、逮捕されるというリスクは無くなりましたが、その一方、取り残された動物たちの置かれた環境は想像を絶する悲惨なものでした。

今回は誰にお願いされる事なく、気が付けばまた、毎週のように東京から福島に通いカメラを回し続け、挙句の果ては撮影現場の悲惨な動物たちの様子に寄り添う悲しみや、やるせなさからくる離人症のような症状に悩まされうつ病にもなりました。

余りにも福島と東京とのギャップが大き過ぎたためでどちらの現実にもついて行けなくなったのでした。その2年間で撮り続けた膨大な素材は、2015年夏、ドキュメンタリー映画として完成しました(注2)。

それら2本の記録映画は劇場公開の後に、北海道から沖縄までの全国2,800ヶ所以上でDVDレンタルされるという、インディペンデント・ドキュメンタリー映画としては快挙を成し遂げました。また、他にも有志により日本各地での自主上映会も企画され、動物たちの真実を伝え続けています。

話は前後しますが、飯舘村を撮影取材していた頃にも幾度となく、Facebook上で東アジア諸国での犬肉食の酷さを訴える記事を見ていました。中には直視することさえはばかられるような残酷な屠殺動画もあり、ひどく気が滅入った事もありました。何故そのような不要な残酷屠殺を行うのか?それには理由がありました。

それは、現地では昔から犬に恐怖と苦痛を与えれば与えるほど肉が美味しくなるという、何ら科学的根拠のない迷信が一部にまだ根強く信じられているからです。

食肉用の犬を飼育する過程においても環境面など劣悪極まりないものでした。例えば、犬たちはケージの中で糞尿まみれであり、餌には人間の腐った生ゴミを与えられたり、頻繁に抗生剤やホルモン注射などが投与されたりと非人道的な状況に置かれていました。中には金のためにペットを盗んできては食肉業者に売るという輩がいて、犯罪の温床になっているという面においても、様々な許し難い事が繰り広げられていたのです。

そんな今まで知る事のなかった事実がSNSにおいて次々に明るみに出ることで、徐々に私の中には犬肉食とその産業を扱った記録映画を製作しなければという使命感が湧いてきたのでした。この世の地獄という形容がピッタリな犬肉産業をスルーしては、私の映画作家としての歩みはすべて偽善なものになると確信したのです。 この壁を越えなくては、次は無いと考えていました。

前述しましたが2015年夏、飯舘村に取り残された動物たちのドキュメンタリー映画の完成と同時に、犬肉食の実態を映像記録としてレポートしようと準備に取り掛かりました。日本に在住する中国人の協力を得て、中国現地での取材交渉などを着々と進めてきました。

しかし、同年の11月に私と同じように犬肉食を描いたドキュメンタリー映画の存在を知りました。上海出身のGenlin監督作品で映画タイトルを『Eating Happiness』(日本未公開)と言います。

この作品は2016年度米国アカデミー賞・長編ドキュメンタリー部門の124本のエントリーに選ばれたほど評価された作品で、私のような個人の低予算記録映画とは比べ物にならないという思いに、一時は私の製作意欲は消えそうになりました。

理由は、私以外に犬肉食や犬肉産業を描いた作品があることを知り、それが海外において高く評価されたことに嫉妬心などではなく本心から嬉しかったからです。それに、犬肉食とそれらを扱う産業、屠殺などの残虐性を実際にこの目で現地取材するのが怖かったということもありましたので、内心、救われたという想いから早々と撮影取材中止の旨を関係者たちに伝え、安堵の胸を撫で下ろしました。

また前述の福島ドキュメンタリー映画2本の仕上げ等から金銭面でも疲弊しており、正直言って犬肉食にまつわる海外長期ロケは厳しかったのです。

私のような何の力もない人間が使命感だけを頼りに無謀な映画製作をしなくても、世界には犬肉食とそれらを扱う産業の違法性を告発したり訴えたりする方々はたくさんいると独り合点していました。

それまで私は使命感に突き動かされるように撮影の準備を進めていましたが、 その一方でもしもこのまま撮影を進めたなら、私はきっと数々の犬たちの残酷な屠殺のシーンを目の当たりにし、自分自身の精神も崩壊してしまうのではないだろうか、と恐れる気持ちも持っていたのです。そんな思いからも解放されたのでした。

その後間もなく、私はある経緯から細々と無農薬有機農法を続けている男性の土地が、環状道路延長とリニア中央新幹線新設のダブルの立ち退き要請を喰らい、たった一人で農地を守る闘いを続けていることを知りました。その闘いに感銘を受けた私は、四季の農作業を織り交ぜながら記録映画として残す事を決意しました。

福島警戒区域の街並みが朽ち果ててゆく過程とは真逆に、今度は農地に道路整備やリニア新設のための橋脚が建ち並んでいく過程を10年単位でカメラに収めようと動き始めました。
この小さな企画はすでに2年が過ぎましたが、私の中で常に闇のシステムの中で消費され続ける小さな命たちのことを忘れたことはありませんでした。

私が撮影中止を決断したきっかけとなった映画『Eating Happiness』はしかしながら、その後一年以上過ぎても日本で公開される兆しはなく、それならば私がその映画の権利者と交渉し日本で公開してはどうだろうかということも考えてみました。

でも、例え日本公開が決まったとしても、余りにも残虐なシーンが多いので、そのイメージが先行し日本人は誰も観ようとしないのではないか、という盲点に気付きました。私は具体的に『Eating Happiness』の予告編を数十人の知人に観てもらい、その感想を求めました。その結果、誰一人本編を観たいと挙手した人は居なかったのです。

牛や豚の屠殺シーンでさえ目を背けたくなるのに、海外の違法な犬や猫の屠殺(実際、中国政府公認の犬猫屠殺場・繁殖場はありません。)の残酷映像など、本当は私も観たくはありません。

本当の真実から目も耳も塞ぎ、目の前の現実世界に身を置いたほうがよほど有意義だなどと様々な想いが駆け巡りました。

『Eating Happiness』のような社会を変えようという素晴らしい理念の元に製作された力作が、真実を描き切ったが故にお蔵入りになるのは非常に勿体ないし、残念で仕方ありませんでした。それならばいっそのこと、ドラマ仕立てにしてその中で犬肉産業の実態を描けば良いのではないかと実際に三つほどのプロットを書いてみたりもしました。

そんな試行錯誤を繰り返していた今年の3月、急に犬肉食の闇の部分を追い求めるのではなく、逆に光を描けば良いのではないのかという発想が浮かびました。

少し舵を切って調べてみると、様々な方法手段で違法な犬肉産業を阻止しようとしている方々の存在に出会いました。それがきっかけで、これはやはり、自分でやるしかないと再度決意したのです。思い立ったら吉日で、直ぐに中国語、韓国語を話せる方と連絡し現地と電話交渉をお願いしました。

撮影は、毎年6月の夏至に開催される中国チワン族自治区玉林ライチ犬肉祭と、7月から一ヶ月に渡り行われる韓国のボクナル(犬肉スープ祭り)に焦点を絞りました。
6月まで三ヶ月を切った時点で、現地の関係者探しと撮影交渉、両国の通訳手配、撮影のスケジュール調整とそれに伴う格安宿泊施設と航空チケットの手配の段取り、撮影機材集め(隠しカメラや、現地で壊されることを想定し予備のカメラと複数の予備バッテリー、簡易照明ライトなど)、それらの準備を大急ぎで進めてゆきました。

私の今回の撮影ポリシーは、光を映し取ることで結果的に闇の存在を浮き彫りにして世界に知らしめる事です。

それは、如何に犬肉食にまつわる残虐性を描かずに、違法な犬肉食とその関連産業を描くかという逆転の発想からきています。

具体的には、犬肉食とその関連産業を阻止しようとする人々に光を当て、人が動物と共生する社会に向けての倫理観について、この映画を見た人たちに考えてもらえるような作品を世に送り出すことです。残酷な映像はネットで検索すればいくらでも出てくる時代です。ですので今回私が敢えてそれを前面に押し出す必要はないと考えます。

今回の取材対象は…
・犬肉食に携わる産業から数千匹の犬たちを救出・保護している有志の方たち
・屠殺場へ運ばれる犬たちを実力行使で助ける現地の若者たち
・救出された犬や猫たちの保護施設の現状やそこで懸命に犬猫の治療にあたる医療チームたち
・様々なデモ行進やアピールに尽力する人々
・現地での一般市民や行政の担当職員への聞き取り取材、犬肉祭のレポートなど
…で構成します。

そうこうしながら中国・韓国の取材準備を進めているうちに、どうやら日本にも大量に違法犬猫肉が輸入されている実態も知る事となりました。

また、或る筋から、戦後日本に於いても地方などで犬が食用として消費されてきた事実も知る事となり、今回の作品に取り入れる事にしました。

それは私たち日本人において、安易に中国人だから、韓国人だから犬を食べるのだ、残虐なのだという民族間の感情を煽る発想に陥らないためにも要となるシーンでもあります。

日本の犬猫肉食について明記した文献や記録資料が少ないため、日本の地方で実際に聞き込み調査も決行します。以上、中国・韓国・日本の東アジア地域に限定したアジアン・ドッグスにまつわる記録映画の経緯を手短に説明させて頂きました。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

監督の愛犬・福島強制避難区域から1年半振りに救出された柴犬・キセキと

▼その名の通り、福島警戒区域に放置され死の淵を彷徨った末に奇跡の復活を果たしたキセキ

▼2013年に完成した、福島第一原発事故後の半径20キロ圏内強制避難区域に置き去りにされた動物たちを描いたドキュメンタリー映画『Zone存在しなかった命』

▼映画ZONE予告編

女優の杉本彩さんがこの映画についてコメントを発表してくださいました。
>>>http://ameblo.jp/sugimoto-aya/entry-11835040555.html

▼2015年に完成した、福島第一原発事故後の居住困難区域・飯舘村に数年間も置き去りにされた動物たちを描いたドキュメンタリー映画『みえない汚染・飯舘村の動物たち』

▼「みえない汚染 飯舘村の動物たち」予告編

この2本の記録映画は全国2,800ヶ所以上でレンタルされました。
>>>https://news.infoseek.co.jp/article/dreamnews_0000136810/

プロフィール

【監督 北田直俊プロフィール】
1968年生まれ。高校を中退後、自身を投影させた処女作8ミリ映画で孤独と絶望を吐き出すように製作し、同年の日本映像フェスティバ ルにおいて優秀賞を受賞。それを機に資金を得て若干19歳にて16ミリ中編映画を完成させる。【主役を演じたのは後年、第34回日本アカデミー賞・優秀美術賞を受賞した花谷秀文。編集を担当したのは現大阪市住之江区長でもある西原昇氏が務めた伝説的作品】
その後、手探りで16ミリ実験劇映画『風景映画』(1993・50分・白黒)を3年がかりで完成させるが試写会に友人三人だけが鑑賞しただけで封印された。 映画に絶望し、世捨て人のように放浪しながら、捨て犬だった愛犬を主役に、ほぼ10年間を費やした35ミリ白黒長編劇映画『イヌ』(2002・83分・白黒/カラー)で劇場公開を果たす。
同じ年、同棲中の恋人が自殺し、その経緯から、自らの命を絶つ人妻の妄想劇『朝子』(2005・86分・白黒/カラー)と、この世に残された側の喪失感を描く『デモーニッシュな街から遠く離れて』(2008・85分・カラー)という、自殺に関する2作品を製作。
その後、劇映画創作意欲の枯渇からムービーカメラを捨てる。 2011年の原発事故に伴う、福島強制避難区域内に置き去りにされた動物達の存在を知り、再びカメラを担ぎ長篇記録映画『zone存在しなかった命』(2013・117分・カラー)を製作。 その姉妹編となる、居住困難区域・飯舘村などの飼い主から放置されたままの被災動物たちの姿を通じ、動物たちの命の倫理に対する法整備の遅れを問う『みえない汚染・飯舘村の動物たち』(2015年・92分・白黒/カラー)を製作。本2編は2016年8月に全国リリースされた。

【プロデューサー 小尾栄子プロフィール】
1965年5月15日、山梨県北杜市高根町に生まれる。4人きょうだいの3番目。
生まれる数日前に、家の屋根に一羽の白い鳩が住み着いた。家族はそれをみて、何かの吉祥だと思ったという。今は珍しい自宅出産で安産であった。
幼少期、父が買った「人類は死の行進をはじめた」という本を読み、近代社会の食と環境の問題に触れ、小学校の図書館で朝日年鑑の戦争特集を読むあたりから、ただ楽しく生きていた人生が何かに気づいたようで一転した。そして今、地球上の命、食、健康、環境などを深く考える仕事に従事するに至っている。
20代後半には一時期そんな自分を少し違う方向に向けたくて、思い立って中国(北京市)に語学留学した。言葉を覚えるには誰かれと交流するのが最適と思い、時間があると辺り構わず旅をし、地元の人たちと言葉を交わした…友達はこれを「ゲリラ学習」と呼んだ。帰国以来、大好きな山梨で暮らす。ふるさとの山梨を愛し、いつか八ヶ岳の麓で自然農を生業とし、ストローベイル・ハウスをセルフビルドして犬猫と暮らすのが夢である。

【音楽 坂本弘道プロフィール】
チェリストとして、多種多彩なセッション及びソロ、「パスカルズ」などのバンド活動、早川義夫、遠藤ミチロウ、友川カズキ、UA、川上未映子、荒井良二、中村達也、七尾旅人など、共演・サポート多数。また、作曲家として、数多くの舞台音楽を手掛けている。シスカンパニー『グッド・バイ』『草枕』『遊侠 沓掛時次郎』『黒塚家の娘』『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』、近藤公園・平岩紙 二人芝居『あたま山心中~散ル、散ル、満チル』、『関数ドミノ』、流山児事務所『オケハザマ』、シビウ国際演劇祭参加作品・台湾阮劇團×流山兒事務所『馬克白:マクベス』等々。音楽ドキュメンタリー映画『WeDon’t Care About Music Anyway』(監督:セドリック・デュピール & ガスパール・クエンツ)出演。音楽監督として映像作品では、『緑子/ MIDORI-KO』(監督:黒坂圭太)、『zone存在しなかった命』『みえない汚染 飯館村の動物たち』(監督:北田直俊)、『きよこのくら』(監督:中村智道)等々。